髭が悪いのではない。悪いのは常に人間である。

許すことはできない

髭の悩みを解決し、未来を重要視したところで、過去は変わらない。

だから本来は忘れてしまうのが一番なのだろう。

 

しかし、あれを忘れられるか?

そんなはずはない。

 

もう別に髭でクソみたいな思いをしたことはそれでいいんだ。

あの時の経験がなければたどり着けない精神状態も味わえたことだし。

それはどうでもいい。

 

だが、罪を犯した人間を放っておくわけにはいかない。

法律で罪に問われなければ無実なのか?

そんはずないだろう。

 

世間が何も思ってなくても必ず懲らしめてやる。

数々の苦渋と苦痛を味わわせてやる。

そうでなければ自我を保てないのだから。

 

クソみたいな人間がのうのうと生きられる社会がここにはある。

それが日本だ。

 

この世界に誰一人として生きる価値のある存在はない。

断言できる。

人間そのものが無意味だからである。

 

ならばどうすべきか。

やるべきことをやるだけだ。

安穏とした日々をいつか必ずぶち壊す。それが私の生きがいである。

 

 ヒゲ脱毛でいくらか救われた

 

髭のせいでみじめな青春時代を送った男は少なくないはずだ。

 

そんな人たちにはぜひともヒゲ脱毛をお勧めしたい。

ヒゲ脱毛すれば髭を永久脱毛することができる。

 

髭剃りしなくて済むし、肌も綺麗になる。

長年のコンプレックスからも解放される。

 

過去は変えられないけれど、未来は変えられる。

そう、ヒゲ脱毛すれば。

 

現に私はヒゲ脱毛を行なっている。

医療クリニックの医療レーザーだと確実になくすことができるのだ。

 

まだ鼻下やアゴは生えてくるが、頬や喉あたりはほとんど生えなくなっている。

髭コンプレックスは子供のころでないにしろ、大人になっても日常生活に支障をきたすほどの影響力をいまだ持っている。

 

だから、ヒゲ脱毛をすることは前へ進むための手段なのである。

これが大きな転機になることを私は信じている。

 

髭は悪くない。

だが、髭を悪いと思わせる社会がおかしいのだ。

 

ヒゲ脱毛して、そんなくだらない社会と付き合うのはやめにして、自分のために生きよう。

髭の思い出~髭を憎んだあの頃~

髭に苛まされたあの日々

小学校・中学校という普通は髭なんて生えない時期に髭が生えてくると本当につらい。

 

髭のせいで一体どれほど人格に影響があっただろうか。

髭がもし人並みでようやく高校生の3年生くらいに濃くなってきたなあ、と感じくらいであれば、どれほどよかっただろうか。

 

当時の自分には髭をどうにかする手段はまったくなかった。

一時期は鼻下に手を当てるのが癖になっていたこともあった。

髭を隠すためである。

 

そうなると、満足にクラスメイトとも話せない。

 

小学校3、4年のころくらいまでは家に何人も友達を呼んで大勢で遊ぶのが好きだったし、昼休みもサッカーで遊ぶような子供だった。

 

なにせしし座のO型である。

まあこれはあくまで傾向を言っているだけで本気で信じているわけではないが、リーダーシップがあり正義感の強い性格が多いらしい。

 

それが、髭が濃くなってきてからは、友達と遊ばなくなった。

目を見て話をすることもなくなった。

とにかく人目を避けてなるべく人との関わりを断つように生きるようになっていた。

それが中学生の時である。

 

心の中では、常に「こちらからは絶対に話しかけないし関わらないから、こちらにも関わらないでくれ一切話しかけないでくれ」と思いながら、日々を過ごしていたのである。

 

たかが髭で?

そう、たかが髭で、である。

 

大人にとって髭は当たり前でも、子供にとって髭は当たり前ではない。髭が濃いことで一体何度嘲笑され非難を受けただろうか。

もはや思い出したくもない。

 

髭のせいで不安になった精神状態は、結局大学生時代まで続き、まともな人間関係を築く障害になったどころか、いつのまにか社会不適合者扱いされるところまで堕ちに堕ちていた。

 

もう時間は決して取り戻せないのだ。

今髭のない状態で中学からやり直せるボタンがあったとしても、私は決して押さないだろう。

 

なぜなら、変えたいのは過去ではなく未来だからである。

今の精神状態のまま戻れるのならまだしも、あの頃を(髭が濃くないのだとしても)繰り返したくない。

 

結局、罪人を許すことになりそうだからである。

罪人。

それはもちろん、髭を馬鹿にしたクラスメイトたちのことである。

いつか必ず復讐する。

 

 

ちなみに、現在はヒゲ脱毛をしている。

もう過去に興味はない。

未来だけが重要なのだ。